英彦山 1199m

shift.jpg初日登る英彦山遠望イメージ shift.jpg中岳の上宮 shift.jpg中岳の上宮 shift.jpg四王寺の滝 shift.jpg望雲台へ取り着き途中 shift.jpg望雲台 shift.jpg望雲台 shift.jpg神宮奉幣殿(国指定重要文化財) shift.jpg銅の鳥居(国指定重要文化財) shift.jpg鬼杉(国指定天然記念物) shift.jpg「般若窟」(玉屋神社) shift.jpg正面参道 shift.jpg正面参道 shift.jpg正面参道 shift.jpg豊前坊 shift.jpg中岳の斜面

位置

ショートプロフィール

ショートプロフィール

 福岡/大分の県境にあり、北岳(1192メートル)、中岳(1188メートル)、南岳(1199メートル)が連なる特徴のある姿は、遠方から見ても一目で分かる。
 かつては神様と仏様が一体となった権現様として山そのものが信仰対象となり、多くの山伏が修行を積んでいた。羽黒山(山形県)と熊野大峰山(奈良県)とともに「日本三大修験場の霊山」として、あまねく信仰を集めていた。山伏は、山中の「窟」(クツ)と称すエリアで修行を行なっており、ここ英彦山では、49カ所あるとの伝承がある。代表的な窟として、彦山の開祖「恒雄」修行所でもある「般若窟」(玉屋神社)、梵字岩や磨崖仏をもつ今熊野窟、山伏の守護神ともいえる不動明王を祀った大南窟(大南神社)などがある。また、山伏の住居跡(舎坊跡)も多く存在している。樹齢1200年の鬼杉を筆頭に杉の巨木が各エリアに林立、そそり立つ奇岩や怪石が点在し、この山ならではの自然景観を呈している。10月中旬以降、山頂から紅葉が始まり11月上旬には、麓の神宮や参道がモミジやカエデで染まり趣のある日本庭園となる。冬は、樹氷。春は新緑。夏の日差しは樹林帯もそこそこあり、柔らかく、年間を通じて楽しめる。

由来

由来

 英彦山は、古来、「天照大神」アマテラスオオミカミ (太陽の神) の御子、「天忍穂耳尊」アメノオシホミノミコトが降臨する山として、「日子山」と称され、平安時代に嵯峨天皇の語により「彦山」となり、さらに江戸時代の享保14(1729)年に霊元法皇より、天下に抜きん出た霊山であるとして「英」の字が授けられ、「英彦山」と称するようになった。

盛衰

盛衰

 英彦山に伝えられる「鎮西英彦山縁起」によると、土着の狩猟人・藤原恒雄は、中国の魏から渡来した禅僧・善正法師の感化によって仏教に入門し、修道した結果、得道に成功して538年に英彦山の三岳(北岳・中岳・南岳)に祀をたててこれを開山したとされている。元禄9 (1696)年には京都聖護院との本末論争の末、「天台修験別本山」の地位を得て隆盛を極める。江戸幕府が宗教統制として行った寺請制度により、「西国一の霊験所」となり、槽家の数も九州一円に42万戸にも達した。俗に「彦山三千八百坊」と言われ、800もの坊と3000人もの衆人が山中に集った。2月の松会祈年祭には7万人もの参詣があった。この事から、固有の経済力、武力を有す事となり、敵対する大名の軍勢から幾度となく坊舎等が焼き討ちにあっては復興を繰り返している。しかし、明治元(1868)年の神仏分離令、明治4年の修験宗禁止令の発布により、座主(高千穂教有)は僧籍を返上し、英彦山神社大宮司となり、千数百年に及ぶ英彦山修験道の歴史は終りを告げた。

名所旧跡

名所旧跡

◎英彦山神宮奉幣殿(国指定重要文化財)
 修験道時代の霊仙寺の大講堂。様式は千鳥破風入母屋造り、現在の社殿は元和2年(1616)、小倉藩主細川興公より寄進再建
◎銅の鳥居(国指定重要文化財)
 高さ7m、柱まわり3mの青銅製の大鳥居。寛永14年(1637)肥前藩主鍋島勝茂公により寄進。鳥居の「英彦山」という額は享保19年(1734)に霊元法皇により御下賜
◎高住神社(豊前坊)
 豊前豊後の開拓神であり、牛馬悪疫火難の守護神とされる豊日別命が祀ってある
◎上宮(山頂鎮座)
 英彦山3峰の中心、中岳の頂上に鎮座するお宮。現在の社殿は天保13年(1842)から弘化2年(1845)にかけて、肥前藩主鍋島斉正公によって再建。昭和6年には大修理
◎望雲台
 山伏の修行場のひとつで約150mの垂直の岩壁です。眺望は雄大で、周防灘や田川盆地、平尾台、福智山などが遠望できる
◎鬼杉(国指定天然記念物)
 「鬼杉」は高さ38m、胸高周囲12.4m、推定樹齢1200年で林野庁発表の「森の巨人たち百選」
◎逆鉾岩
 高住神社の上手にある岩で、火山岩が浸食されてできた奇岩

コラム

コラム

修験道の教え

 山伏の山の縦の三画は右から報身・法身・応身の三身。蓮華部・仏部・金剛部の三部。空諦・中諦・仮諦の三諦で、これを横の一画でむすび三身即一身。三部一体。三諦一念を示す。伏の字の人偏は法性、右の犬は無明で、両者をあわせて法性・無明不二の義を示すと解釈しています。室町後期に成立した修験道の教は、密教や天台本覚論、これを基盤にして成立した両部神道や山王神道の基盤にたっている。

六根清浄(ろっこんしょうじょう)と「ドッコイショ」

 昔人は山登りの時など「六根清浄」(ろっこんしょうじょう)を口々に唱えた。六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の働きのことで、眼は不浄を見ない、耳は不浄を聞かない、鼻は不浄を嗅がない、舌は不浄を味あわない、身は不浄に触れない、意(心)は不浄を思わない、つまり身も心も無垢清浄になろうという祈りの言葉が「六根清浄」であり、それが「六根浄」となり、「どっこいしょ」になったとのこと。